なかばヤケクソな勢いで雨上がりの宵を家まで歩いて帰った。
ひたすらたんぼの間をぬってゆく事一時間強、頭の中には色々なモノが入れ代わり立ち変わり浮かんでは消え、俺はいったい何処を歩いているのやら。
――保育園に預けられていた頃、大好きな女の先生が一人いたんだけども、その先生が余所の保育園へ転任になった時に生意気園児の俺は、転任先の保育園へ会いに行ったのだった。
幸いにも歩いて行ける位の距離だったからなんだけど、フェンス越しに見た先生は見た事もない洟垂れガキ共と楽しそうに笑っておった。
その光景に悲しくなったフェンスのこちら側の糞ガキは声もかけられず、かといってとんずらしてきた保育園へ戻るのも堪らなく面倒で立ち尽くしておった。
すると、
「おまえ、だれだ……」
といって上目に睨むチビ助が一人、何時の間にかすぐ近くの向こう側に立っている。
「おまえこそ、だれだっ!」
こちら側の糞ガキも精一杯に睨み返す。
暫らく無言で向き合っていると、あの先生が気付いてしまいフェンスへ駆け寄って来た。
ますます訳の分からない悲しみにやられ、こちら側の糞ガキは一目散にその場から走り去ったのだった。
その先生とはそれっきりだが、フェンスの向こう側に居たチビ助とは偶然にも小学校にあがると同じクラスになった。
最高に気の合う奴だったっけ。
彼の家ではピラニアを飼っていて、よく餌の小金を一飲みで捕らえるところを見せてくれたんだけど、ピラニアの鋭い歯の間に見える発色の良い小金の胴体や尾びれが、布団に入っても生々しく瞼に浮かんだっけ。
友達から貰った初めての誕生日プレゼントは、彼からのものだった。
その時貰った蛹は、夏休みに入ると301号の壁から孵化してギラギラの太陽へ向かって飛んで行った。
転校するまでの一年とちょっと、アホみたいにつるんでいたけど……、
元気でやってんのかなぁ。
そこから凡そ二十年後、彼の家を訪ねてはみたのだが、もう家すらも残ってなかった。
名前と記憶だけが俺のどこかに残っただけだ。
今年もすぐに蝉共がわんわん鳴き出す。
たまにはトボトボと歩くのも悪くない。
来たね、焼けたね。陽射しが容赦なく降り下ろしちゃ肌を芳ばしくするぜ!
労働者万歳! の季節ぢゃね。
体が慣れるまでが一番きついんだわなぁ。
暑い日中に体力使うと、若干ではあるけれども頭の螺旋がゆるむね。
明らかにメタボ全開の肉体派な二人が、川辺の作業でおかしな会話をしておった。ちなみに私は二人に含まれません。
「四つ葉のクローバー、な、い、か、なぁ〜」
「そう云うキャラぢゃないでしょ!」
「な、い、か、なぁ〜」
「だいたい四つ葉なんて奇形でしよ? 遺伝子的には!」
「……なんだよ! じゃぁ俺のキャラってなんだよ!」
「牛殺しとか」
「けぇぇぇぇーっ! ぺっ!!」
この会話の何が作用したのか分からないが、ふと俺の頭の中には「猿の手」の話が浮かぶ。
ポーだったかな、確か。
そんな訳で毒を吐いたり、ちっちゃく幸せを見つけようとしたり、怖い話でうつつを抜かしたりと各自が我流で逆上せたまま、西の空を見送るのであった。
労働者万歳!
あちぃ。
多分、明日も。
一応、家人への配慮として喫煙はベランダでとしているのだが、夜になるとこの時期は正に「飛んで火に入る夏の虫」ここぞとばかりに何匹かの虫が部屋の中へ入り込む。
すると、激しい羽音が途切れ途切れに聞こえるぢゃないか。
特別虫に対しての警戒心もない俺は、然程気にもならないでプカプカやっていた。
ぶぶぶぶぶぶっ……
大分頑張ってやがる。
ぶぶぶっ……ぶぶぶっ……
視界の端が羽音の主をとらえた。
あれ? コイツは日中天井に張りついていた奴だ。
ソイツは床の上で絶え絶えと云った風でジタバタしている一匹の蛾であった。
つまり、コイツは昨日の晩か、その前の晩に入ったまま寝起きを供にし、今はもう飛び上がる事もままならず、最後の飛翔へ必死に抵抗しているようだ。
羽を激しくバタつかせるのだが足はしっかりと床にしがみ付いている様な滑稽さを見せたかと思えば、仰向けにひっくり返って六つの足が力なく空を漕ぐ様にモゾモゾしたり、大分必死に頑張っている。
コイツ等の寿命はどの位のものなのか?
俺がコイツに気付いたのが今日の昼だったので、ほんの二日で死んでしまう様な錯覚を受ける。
もしや、こんな六畳の箱に入った事で死期を早めたのか?
ただ、夏の夜に街灯に集まる虫達は皆、申し合わせた様に力尽きてひっくり返り朝を迎えている。
いったい、どんなつもりなんだか……。
ただの本能であるか?
これは虫達の近代文明病かも知れねえな。
毎日毎日ほんの少しだけ初対面の方と会話をする。
厳密に言えば、仕事上での取り付ける場所の確認やら、取り付けた機器の操作説明である。
一日に五人とすれば十日で五十人。一月で百人以上。乱暴に換算しても年間千人だ!
本当に世の中には色々な人がいるものである。
俺もそれによって浮かれたり、腹をたてたり、凹んだりする。
勿論、小一時間の会話で相手のすべてを知れる筈もないのだけど、その人が暮らす生活空間へと入る訳だから、ある程度の人と成りは察せる事となる。
ま、しかし一晩寝ると忘れますな。仕事上で接するだけだから、ほぼ印象には残らない。
だが、今日の人には心底参った。
それは一番苦手なタイプ「嘘をつかない人」だった。
う〜ん……語弊があるやもしれないが、他にイメージが浮かばない。
誠実だの、正直だの、実直だのって言葉ではピンとこない。
「嘘をつかない人」
と云う感じなんだな。
嘘ばかり吐き出す俺は、そんな彼の人と成りによって刻一刻と締め上げられ(いやはや、それはただの自虐であるのだが)、彼の部屋の扉から出る頃には殆ど半泣きの心境であった。
とどのつまりとしては、
すべては無関係である! と云う事なんだ。
あんたが、もしくはオイラが、ちょっとした近しさや縁遠さに「何がしか」を見取ってしまうだけなんだ。
基本は無関係なんだ。
そんでまた、知らないところでは「こちらを立てればあちらが立たず」みたいに、
カンカン照りが続けば腹ペコだし、
どしゃぶりなら腐りだす寸法で、
やっぱし相互作用も働いたりして、
いや、決して「我が身可愛いや」って話ぢゃないぜ。
世界を変えたい訳でもなし、
異論反論を唱えるでもなし、
そりゃ、あんた、マウンテンゴリラやザトウクジラの絶滅の危機とかよ、
もう、すれすれアウト気味ですから。
底抜けの精神論ぢゃ、腹の足しにもなりゃせんよ!
俺なんか、誠実さは重罪に処するみたいな錯覚を受ける訳さ。
高尚であれなんちゃ、アレは、ほれ、階級意識みたいな感じでしよ?
無論、自給自足で十分事足りる訳だしね。
「やばいな……」と思う訳さ。
意識的に関係性へ甘んじてしまうとね。
つまり、
決定打としては、
最終的に「信じる」「信じない」でしょ。
ん? 「信じられる」「信じられない」かな……?
そしたら、ほら、それって家族だったりしない?
こう云った微妙な淵の向こうに見えるわ。
アレも、コレも。
だからよ、「信じられない」ものは無関係で良いと思う訳さ。
「人類皆兄弟」なんて御託はまっぴら御免だ!
意味。
意味……?
実体が無いから分かりづらい。否、分かりません。
けど、そこが一番知りたいところだったり。
その癖「人生の意味」とかきかれると、途端にげんなりしたり。
でもって、その実、自分の人生には意味がある気がしたり。
これは貧しさの表れであるやもしらん。
ジリ貧で立ち回ると好機も危機も一色汰で、あらあら、右も左も分かんね。
その実、そこにこそ意味があるような気がしたり。
はたまた、そう云う事にして誤魔化してる。
「手遅れです」と言われればそんな気がするし、「まだまだやれる」と思えばそんな気もする。
そんでまた何やかやと意味を探してみたり、馬鹿バカしいとシラけてみたり。
頭の中はからっぽで覚えるも思い出すも億劫だ。
ところで千里の道も一歩からなので、毎日毎日アホみたいに繰り返してやらないと体が言う事を聞きやせん。
人間の感覚と云うものは鍛えてやると、機械なんぞでは到底追い付けない精度を叩きだす。
これは個人的な経験則であるのだが、まず確かだ。
単位がつけられない程に細かくしたり、置場に困る程に大きくしたり、極みの境地は土足厳禁なのである。
境界線を迂闊に越えてはいけないよ。
くたばってしまえば皆同じモンだけど……
仕事は常に屋外であるから、小用を足す為にはあちこちのコンビニ等に立ち寄る事になる。
仕事で動く行動半径にはパターンがあるから、立ち寄る店舗もほぼ同じになる。
場所によっては古本屋(所謂〇〇OFF)であったりして、その都度少しの驚きが俺を捕らえる。
化粧箱に入ったハードカバー本(豪華本仕様ってやつね)が、何処の店舗でも大抵百円で並んでいるからだ。
そりゃ、装丁も訳も注釈も一昔前な代物だけど……ボロボロだったりはしないし、豪華本ならではの雰囲気は胸踊らせるものがある。
それが百円で並んでいる。
漱石だろうが、ディケンズだろうが、モームだろうが、ドストエフスキーだろうが百円である。
色々な出版社から各社なりのそれら豪華本が発行されていて、なんの気なしに発行日などが記されているページを見てみると、60年代に造られたモノが圧倒的に多い。
時代的にこう云ったモノが流行ったのかな?
昔住んでいた地域の図書館で、蔵書として保管してある「白鯨」の日本初版はすごい臭いがしたっけ。
なんつうのかな、タイムスリップしそうな臭いだった。ページの間からブワーッとくるんだな。
あれは何の臭いなんだろう?
兎に角まぁ、仕事中の小用ついでに、古本屋で豪華本仕様のモノを一冊〜二冊買ってしまうわけだ。
最初は出版社を統一しようかとも思ったが、今は拘らずにどこのモノでも買ってみる。
各社、傾向と云うか雰囲気が違っていて面白い。
しかし、百円とは……。壱万円持って二、三店舗回ったら、そりゃすごい本棚が出来ちゃうよ!
モノの価値とは悲しいような、嬉しいような……。
凡そ逆転出来る見込みは万に一つも無く、後は敗北感をいかに誤魔化すのかが当座のお題である。
未だ鎮痛剤を飲み下す習慣から脱せず、こんなに毎日飲んでみると効いているのか、いないのかももはや分からん。
田植えが始まったと云う事は、あっと言う間に夏が来るって云うこっちゃ。
少し夢を見過ぎていたかもなぁ。鎮痛剤を飲み過ぎたせいだろう。
絶対に忘れちゃなんねえモノまで忘れてしまった様な気がする……いや……忘れた。
いや、忘れたと云うよりも亡くした。見当もつかない場所へ。
その亡くしたと云う感覚はうっすら体に残っている。
仮に再度何処かで出くわしたとして、すぐソレと気がつくだろうか?
それとも永久にこのままなのか?
こんなにも過去とは嘘っ八みたいに白々しいモノなのか?
俺は最近ちょくちょく見かける野良猫に「メキシコ」と云うあだ名をつけた。
これが最近の生産的行為として挙げられる事の唯一で、後は消費と消耗の繰り返しである。
この途方も無いお祭り騒ぎは何時まで続くのか?
死ぬるまでか?
生きていると云うのも、とてつもない事だ。
空はどんよりと垂れ下がっている。週間予報では連日晴れると言っていたのに。
訪問前の電話は一向につながらない。
取り敢えず不在票を投函するついでにと、ドアホンを鳴らすと玄関の内側に人の気配があった。
重そうに扉を開きながら出てきたのは、三十代位の女性である。
彼女は何も言わずに、こちらが何か言うのを催促する様な視線を上目で投げつけてる。
俺は仕事の概要を伝え、これから作業に取り掛かる旨を口にすると、
「わたしには分かりません」
まるで林檎を半分に切るような口調で、手早く切り返してきた。
それでは誰か分かる人居ますかと訊ねれば、
「分かりません」
と、これまた簡単に切り落とす。
こちらにコレコレこう云う物がありませんかと聞いてみても、
「分かりません」
……オイオイ、家の中を見回してみれば分かるだろうよ。俺も刀を抜きそうになるが、鞘に手をかけたところで思い止まる。
大分順序が逆になったが、こちらは誰それさんのお宅ですよねと確認してみると、
「分かりません」
……はぁ? それぢゃぁ、この電話番号はこちらのお宅ではありませんか?
「わたし、この家の者ではないので分かりません」
あれ? 俺もいまいち訳が分からなくなってきたぞ……。
すると、あなたは誰なんですか?
「わたし、遊びにきてるだけなんです」
なるほど。それぢゃぁ、こちらは〇〇さんの家なんですよね?
「……分かりませんけど……」
そう言いながら彼女は下駄箱の上にある郵便物を一つ抜き取りながら、
「ここに△△と書いてあるから違うと思います」
と云った具合に、自分で言っている事が辻褄が合わないのも我関せずで斜に構える。
俺はおもむろに携帯を取出し、何度もかけた番号をリダイヤルすると、玄関の電話が激しく鳴りだした。
しかし、彼女は状況を把握しているのだろうが全く動じていない。
むしろ俺を訝しげに見ているのだ!
俺は直観的に「コイツは下手すりゃ果物ナイフどころぢゃないぞ……」と思い、この家の住人に業者の訪問があった事を伝えて欲しいと早口で投げ付けながら、自分の車に乗り込んでその場を離れた。
世間はG.Wへ突入。俺は連日労働。
他県ナンバーの車がウヨウヨ。やりたい放題の運転してる。
「オイオイ、今や此処は俺のブルースタウンだぞ! 少し謹んで呉れ給え。」
と、言ったところでまだまだブルース濃度は薄々なのが現状。
まだまだ足らんか。
俺は人目を忍んで今夜も、宵闇の中にスパニッシュ・チューニングの芳香を少し混ぜてみる。
色々な所で切磋琢磨している楽氏の、経験則から出た分析を考慮すれば、俺のやり方はてんでお角違いであるのだろうが、しかし、しかし、俺の左手に光るスライダーの音色はこの土地の夜の空気に相性ばっちりで、気持ち良く溶け込んでゆく。
惑星探査機に載せられたブラインド・ウイリー・ジョンソンは、今、銀河のどの辺りを漂っているのだろう。
彼の人生もHARD LUCKであったが、彼のサウンドは太陽系第三惑星の親善大使となって翔んでいった。
ちっちゃいなぁ〜人間は……。
でっかい銀河には一方通行なモノなど一切無いのに。ま、空気も無いんだけど。
ギターのペグを回してサウンドをスクエアな枠から解放してやると、自己責任自由意志な宇宙に一人ぼっちだ。
自分の足で歩かにゃならん! それが自由である事の正体だ。
今夜も自由な連譜に乗って、過去も未来もなくなってしまう。
Everything is gonna be alright!!

五月晴れにまかせて大々的に自分の部屋を大掃除。
シャキッと生きても、ダラダラと生きていても物はドンドンと増えてゆく。
おのずと塵も増えてゆく。
一番の理想は自分に絶対必要だと思われる、十数枚のレコードとレコードプレイヤー、ギター一本なんて潔さだけども……ダメだな、こりゃ。
数年前に思い切りよく減らしたのに、みるみる内にまた増えている。
ぶつぶつ溢しながら大雑把に整理してみれば、まだ以前程には重症ではない。
親父は草刈りに汗を流している。
風にのって青草の匂いが俺の部屋まで漂っている。
俺もひとしきり汗をかいたので早めの入浴でさっぱりし、広々新空間でダラダラと研究&探求作業に取り掛かろうとしたが、あら、あらら、付けっ放しのテレビで「世界最速のインディアン」が始まるところぢゃんね!
これ観たかったんだなぁ。内容はよく分からないけども、オートバイの話なんだよな。
三十分も観てるとすっかり引き込まれて、どんなシーンも見逃したくない。
アンソニー・ホプキンス扮するバートは、独特なつっぱり方で1920年型のモーターサイクルで世界最速を目指す。
彼は「やれる」自信があるし、それ以外の事に殆ど頓着していない。
かっこいいなぁ。
最後まで観たところで知ったのだけど、コレ、実話かよ!
かっこいいなぁ。
こう云うプロ感覚も憧れるなぁ。
単純な俺は世界最速を目指したくなった。