
Get back,get back
Get back,get back
Get back to where you once belonged
以前ある方から頂いた手紙を 再度読んでみた。
俺はあの時初めて「これがロックなら、ロックなんて腐れだっ!」と心底思った。
そこから色々なモノに疑問を感じだして、モノの見方や考え方がそれまでと大いに変わっていった。
それは極々個人的な心象変化なので、取り沙汰して記述したり語るものではないが、俺の一番大切なところであり、絶対的に「あたり」であることは間違いない。
ただ、ぽっかりと忘れてしまうんだ。
様々な記憶が甦るが、胸に克明に刻まれているのは他愛もない二言、三言。
みんながてんではぐれはぐれだけども、やっぱし「宇宙一」だと思います。
他はもう、どうでもいいや。
今夜、十五年分を一息に思い返してみると、随分と辺り一面が萎縮して小じんまりとしたなぁ〜と思います。
なので、俺は元いたところへ帰りますよ。
いや、俺らがいたところへというべきだな。
まずは丘の上のあそこへ、四年ぶりになるけども是が非でも逢いに行きます。
え〜と、年内中に……絶対に行きます。
約束する。
そんで、JACKでも浴びせて、Dead Flowersでも歌って、世界を鼻で笑って再出発する。
つまり、いじけてないでプライド取り戻してみるや。
おしむらくは、俺の声が届けば良いがなぁ〜……。
そんぢゃぁ。

一月に一度位の割りで仕事にポカリと空白が出来る。
予め「穴が空くな」と分かっていれば何か雑事を盛り込んで有効利用するのだが、当日の午前中の社会がすっかり動き出して人も車も忙しなく息づく頃にソレと知るので、何時も思い付きで一日を過ごす。
そしてソレが今日だったのだけど、北へ南へと車を走らせている内に中古ピアノ専門店を見かけたので入ってみた。
しかし、ピアノ専門店は余り思い付きで入る場所ではないですな。
ざっくばらんにと云った雰囲気はとても通用しないと入店した三秒後に感じはしたのだが、すぐに引き返すのも癪に障るので「どうせ俺は冷やかしだ」と肚を決め、店員には気軽に声をかけられない様、眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げたまま踵を鳴らして左回りに店内を歩き始めた。
案の定、どこまで歩いても冷やかしにしかならない。
なぜなら、俺、ピアノを殆ど知らないから。
鍵盤を叩くと音がする位の認識しかないから。
ピアノの善し悪しなどよりも、店の雰囲気に気押されまいと変に気を張って歩いているから、冷やかし度は高騰し羊の群れに飛び込んだ狼宜しく、唯の柄の悪い嫌や客に見えたであろうと思われる。
ごめんなさい……。
そそくさ店を後にして車を走らせると、街道沿いのリサイクルショップにちらとアップライトがあるのが目に入った。
ハンドルを切り駐車場へ。
ここなら作業服でも気兼ねしないぞと、揚々とピアノへ向かう。
くすんだ焦茶のアップライトが雑然とした中にぽつねんと置かれている。
「これならば……」と思い試奏を申し出る。店内は有線か何かで古い歌謡曲が流れていた。
ボン ボン
低い方の鍵を叩いて
ポン ポン
高い方の鍵で合いの手をいれる。
まったくピアノの弾き方を知らない俺なので、和声もへったくれもなく頭の中のイメージだけで果敢に挑んでみる。
カナリア諸島でアイリッシュ風に「God Only Knows」を弾くイメージだったんだけど、俺はカナリア諸島に行った事も無いし、アイリッシュもプレイした事は無い!
当然、変な音が出た。
しかし、コレが結構イケる。
二つの変な音の組み合わせが、ドヒャーっとイメージを拡げ出して頭の中は音だらけになった。
やばい。
キテる。
その変な音をたっぷりと体中の細胞に記憶させ店を出た。
さいわい明日は仕事が休みなのでギターに変換してみよう。
たまにはピアノも悪くないな。

Zzzzz……

燃え尽きたよ
真っ茶色に
その燃え尽き感を擬音にすると……
ぽくぽくぽく ちーん!
達成感は皆無で、果てなく何処までも哀しいとはね。
能力不足だな。
スキルアップが必要だけど、その為の時間はどれほどあっても足らない。
そう、行く先が見当もつかないので繰り返すより仕方がない。
磨くところまで辿り着ければ道も拓けるかなぁ。
まずは掘って掘って掘り続け、原石を探してみよう。
DIG!!

俺を悩ますもの
大旗をかざす人
トドみたい
やっつけで、その場を凌ぐだけの話し方
理解は出来ずに、誤解が得意
多分、商人
士農工商
プライドがあったら商人は無理だね
プライドの無い奴が、侍たらんとするは厳しい
一般人と云うのが妙だ
あんたは、プライドか? 作るのか? そろばんか?
求めて、縛りたがるなんて、S&M Eyby
紋々
はったりとは違う下衆な看板
策士、策に溺れて
それでも
俺の手の中
あぁ、そうか……
俺の手の中だ
哀しくなるぜ!
尻の重い奴だ
やはり、トドなのか?
「分かった」と言う奴の百人中九十九人は「分かってない」
九十九人中、六十人位が泥棒で、
残り三分の一は被害者で、
三分の二が混成された沈黙の、識者のフリをする大嘘つき
しかし、悲観的になると
途端に腑抜けになっちまうから、
考えるのは止めよう。
ただ、
ちょっと悩むだけ……
ちょっと、
悩む、だけ。
とても懐かしさを憶える夢を見ていた……はずだのに、目を覚ました途端にすぅーっと、欠けら一つ残さず飛び去った。
一瞬にして!
あの夢は幻想や幻覚の類ではなく、風に乗ってただなんとなく漂う香りの様に、ソレと分かると同時に逃れてしまうさりげなさで、訪れて消えた。
誰かが居た。けれど誰の顔を思い浮かべてもピンとこない。
むしろ思い起こそうとすればする程、するするときれいに消えてゆく。
もったいないから止めた。
いい感じの夢さ。脳みそかき回したところで、気のきいた何かの一つも降りてこない。
窓辺にゆき、なんとなくマッチを一本擦って額の上にかざしてみると、静かに揺れる炎の中にチラッと影だけ見えた気がしたが、そのまま黙って煙草の先へ運び赤々とした火種に変えて夜の闇に溶かす様に消してしまった。
さよなら。
あくせく働く日々。
折りに触れ耳にするのは「安全」についての注意。
この「安全」についての話が果てしなく馬鹿バカしい。
大の大人をつかまえて小学生を諭す様な話ぶり。
挙げ句の果てにはマニュアルを作ってバラ撒いて、パトロールと銘打っては執拗に見回り、守られてなければ〇〇部長だか何かに呼び出され夜遅くまで「安全だ」「安全だ」「安全だ」と言われる。
こうなると「安全」が仕事なのか、仕事が仕事なのか分からない。
無論、机に向かって仕事をしている訳では無いし、屋外で体を動かしていれば危険な事もあるけれど、余程のうっかり屋でなければ命懸けの綱渡りをするはずも無い。
自分の限界を認識していれば、無謀な賭けに為らない方法を考えるものだ。
しかし、それでも過失事故や怪我に見舞われる人が後を絶たない。
それはやっぱり過信やうっかりが招いてしまうのだろうが、ある一部の人は職業選択の誤りが過信やうっかりを呼んでいるとも見受けられる。
つまり、向いてないな、ってこと。
色々と職を渡り、アレコレ見てきたが、明らかに「むいていない」人が一人、二人は職場に居るものだ。
そんな方々はソレと知らずして無謀な賭けにも平気で飛び乗ったりする。
誰もが、喰わなきゃならないと云う中でそんな悪循環も生まれてしまう訳だ。
自分自身も「むいてない」故にすぐ辞めた仕事は幾つかある。
逆にピタリとはまる仕事には出会った事が一度も無い。
「やって出来ない事はないな……」位で折り合いをつけている。
逆に職場、職場でその道のプロに出会うと、心底見上げたもんだなと感心する。
彼らはその道ではアーティストだ。
しっかりと観察し同じ事をやろうとしても、とても一朝一夕では真似出来ない。
無駄の無い手際と思考で、華麗なる仕事ぶりを発揮する。
その、底の知れない素晴らしさに、俺は幾度も救われた。
あんた達は、あまたの自称アーティストの二百倍アーティストだ。
仕事に取り掛かる時点の発想から頭一つ抜きんでてる。
「安全」の毒にも薬にも為らない話を聞きながら、誰もがアーティストであれば、クダラナイ「安全」の能書きも要らないかもなと考えてみる。
それでも、喰わなきゃならない状況は不動のモノとして常に眼前にある。
向いてないからと云って、逃げ出す訳にもいかないという人もいる。
ツネちゃん、家族があるもんね。
「安全」とか「利益」とかの大義名分の下では、個人のどんづまりの事情は関係無い。
「一生懸命」とか「努力」とかぢゃ、門前払いの洟垂れ扱い。
さぁ、どうする?
あの大義名分は、アーティストも洟垂れも一色汰にして、玉無しの大量利潤ロバに仕立てて飼い馴らすつもりだ。
なめんなよっ!
俺はアーティストでも、洟垂れでもない宙ぶらりんのチュー太郎だけんども、俺はアーティストも洟垂れ達も愛しているのだ!
おまいらの縦割りの能面づらが嫌いだ!
これ以上グダグタ絞め上げるつもりなら、容赦なく噛み付いてやるからな!
秋晴れの空の下を一人歩いてみる。
えんえんと足の向くままに歩いてみる。
どのみち此処は田舎だ。気が向いた時にコンビニが現われる場所では無い。
食料と水、そして文庫本一冊、ウォークマンとカセットテープ。
準備万端。くたびれたブルージーンズにスニーカーを爪先で引っ掛け、いざ出発!
ここ何年かで新しい道がどんどんと作られ圧倒的に交通量が増えた方へは行かず、藪こぎのちくちくしそうな小道を小貝へ向けて歩くのだ!
ほんの小一時間位で藪こぎは林となり、森になった。
昔はハンター達が歩いた道だ。今は禁猟区になった為、人為的事故に遭うはめにはなるまい。
森の中はどこまでも平和だ。木々達が俺を匿ってくれるから。
荒くれた節が二つ付いた、俺の腕より少しだけ長い枝を拾う。棒っこは探険には欠かせない。背丈より長い藪を払い、いざと云う時は武器になる。もっとも武器として使った事など一度も無いのだがね。
杉、松、まれに樫。梢から漏れる陽光はキラキラと降り注ぎ、そこいら中に居るのだが姿を見せない生き物達が、歓びの歌を自由きままに歌って聴かせる。
森の中はどこまでも自由だ。木々達が俺達を匿ってくれるから。
しばらく行くと水の流れが囁く様に聞こえた。地盤のゆるい所から地下水が湧水して流れを作っているのだろう。
多分、夏の最中に此処に来れば、直線的な素早さを見せるザリガニや不恰好な泳ぎを見せる殿様蛙で賑やかだろう。
その流れの上に覆いかぶさる様に斜めに生えている樫の木。ここに少年達は小屋もどきをこしらえ、台風に破壊されるまで集ったのだった。
俺は要領悪く樫の木へよじ登り、太い幹の三股に別れた真ん中にまたがり視線を上げた。
最悪だ……。
森の向うに畑があり、そのまた向うに森があった筈だったが、今は新しい幹線道路を走り抜けるトラックが、死んだ魚の腹みたいに銀色に浮かんでは無言で消えてゆく姿が見える。
あいつらは亡霊みたいにウロついて、少年達の自由を根こそぎ運び続けるって訳か。
それはちょっとオセンチ過ぎるなと乾いた笑いに誤魔化され、未来は未来さ、過去もしかりと目を伏せた。
風に吹かれて。
とめどなく溢れだす
うちがわから飛び出さずにはいられないらしい……
しかし、そいつらは何処までも無形であり、
俺がうちふるう匙加減で
毒となり、愛ともなる。
その「なる」部分に俺が居る
それだけで俺の世界は十分なのだが、
それだけでは笑っていられないのが世界なのさ。
明日、俺は爆発する
夏のじりじりと焼かれた感触を跡形もなく消し去る様に、静かに確かに秋は深まってゆく。
そして全てをリセットする様な冬の寒さがやって来て、吐く息の白さで自分の中にどれ程の悪意が眠っているのか思い知る訳だな。
さしずめ真意は哀しみを帯びているに違いない。
それはプライドと名付けられた糞の突っ返にも為らない恐れを逃れる故の猿芝居なのだと気付いてしまうから余計に虚しい。
意味など無いが、意義はある。
いい加減にうんざりしてしまう。
万里の長城よりも長く疑問符は続き、それは解消する術を持たない様に思われる。
冒険を恐れなけりゃ、道は無数にあるのだよ。

ギターのアレコレをぐだぐだと書いている内に十月もすっかり半ば。
この間に、あの「世界戦」があり、方々で色々な話を聞いたり、文章を目にしたりした。
自分もその日は父親と自宅でテレビ観戦した。
概ね「最低」と云う感想が圧倒的であり、後味の悪さばかりが残る世界戦であった。
反則がどうのこうのと云う事よりも、つまらない内容に辟易した。
まぁ、あの少年の勝ちは無いにしても、王者も「逃げるが勝ち」みたいな(それも技術とは……)作戦が見え見えで、一体何の試合を自分は見たのか? と言うのが正直なところ。無駄に時間を使ってしまった訳だ。
別に「どうでもいい」試合であった訳だが、世評は「そうはイカン」らしく、駄目出しに躍起している。
そして今日の昼間、たまたま知り合いと電話でその話題となった。
電話の相手は元プロボクサーで、現役時代は某世界チャンプと拮抗していた男である。
「あれは俺から見たらガキの方が『強さ』では上だ。いいパンチを打ってるよ。」
「いわゆる反則はどうなの?」
「そんなモン、外国のボクサーなんか当たり前でやってるよ! 現実はレフェリーが反則としなきゃ、やり放題なんだわ。試合はもう泥臭いモンなんだからよ。」
「その上で勝ち負けがあると云うのが……」
「そう云う事。プロは甘くないぜ」
「勝てば官軍か……」
その他、属していた人間だから予想出来るのであろう、テレビには映らないアレコレを彼は語ってくれたのだが、個人的な信頼関係の元に話してくれた話なので省略。
総評としてやはり「どうでもいい」試合なのでした。
リングに上がった二人には悪いがね。

まるで謀ったかの様な偶然である。
一緒に働いているS氏は音楽人であった。
噂でカラオケの達人だと云う事は知っていたが、肚を割って話してみれば、ギター弾きながら唄うのが本業だなんて……!
そんなS氏の音楽は、伊達や酔狂のレベルぢゃなく「聴かせる」ものだった。
俺の親父と同年代のS氏は、ある方面でかなり有名な方なので具体的にここでは記せないが、普段の労働する姿を他人が見れば六十凸凹のおじさんにしか見えません。
俺だって話を聞くまではアルコール焼けした赤ら顔の、男が晩年に携える少ししょっぱい哀愁を漂わせた良い人位の認識であった。
ところが、ところが、ところが、その両手から弾かれて飛び出す音色は、あの達人が奏でる時に必ず影の様に付随する感情を呼び出してしまう。
悲しくないのに泣きたくなる様な、
最悪なのに笑えてしまう様な、
自分では、どうにもコントロールなど出来ない「思いにならない思い」
それが音色と供に波となって流れてゆく。
音楽は流れてゆく。
どこかからやってきて、どこかへと流れてゆく。
演奏スタイルはメロディー主体の、単弦をつまびく古賀メロディースタイル。
自身の歌と絶妙に溶け合い、stop&goで色々なものを同時に描き出してゆく。
すげーなぁ……。
久しぶりに音楽力のある人の演奏に触れる事が出来て、俺の両手はむず痒い。
現在、S氏は休日に施設で演奏しているとの事。
「いつか自分の演奏を人に聴かせる日が来るのかなぁ〜と思いながら、もう四十年以上やってるけども、習い事って云うのは続ける程に難しくなるよ。今時のリズムだけの音楽はさっぱり出来ないけども、私のやり方でやる音楽なら自信はあるね」
本物の音楽人は、人知れずあちこちに居るもんですな。
私の知人にギターは見た目で選ぶと云う方がいます。
しかし、私の感触として彼はハズレを引いていないと思います。
なんでだろ?
私の知人にギターは何でも良いと云う方がいます。
なぜなら彼は腕に相当の自信がある為「指にはめた輪ゴムだって麗しく弾いてみせる」との事です。
だんだん馬鹿バカしくなってきました。
こんな能書きの発端は、ある中古楽器を取り扱うお店の、店員の兄ちゃんの一言に不快感を覚えたからなんです。
そのお店は楽器屋さんと云う訳ではなく、中古品をアレコレ売っている店で、所謂〇〇OFF的な商売をしている転売所でした。
今時はそう云ったお店に驚く様な楽器が並んでいたりするので、近くを通りかかるとつい覗きに入ってしまうのですが、先週そのお店に入ってゆくと、実物は初めて見る「ちょっと気になるヤツ」が一本奥の方にあるぢゃないですか!
それは大分昔の廉価版のギターなのですが、ソイツの兄弟機が私好みの音色だったので比較試聴してみたい欲求に刈られまして、店員を捜して試奏を申し出たのです。
店員は開口一番「鳴りませんよ!」とのたまって、中々ギターを手渡してくれません。
私はそれを聞き流して「いいから弾かせてくれ」と返しました。
すると彼は「ピックは持ってますか? チューニングは?」ときいてきます。
そしておもむろにチューニングを始めました。
そして彼はまったく出鱈目なピッチのチューニングをすませると、何の必要があったのか腕前を披露し始めるのです。
「下手糞……」
思わず一言呟いてしまいました。
彼は無言のままギターを手渡すと、そのまま姿を消しました。
ちなみに電話のダイヤルトーンは三弦Gなんです。
ゆっくりと慎重に調音してゆくと、その古いギターが息を吹き返してきました。
うむ。音の押し出しは大分弱い様です。この辺は昔の国産のギターにはありがちです。
しかし、音質はかなり繊細で指のタッチにも敏感に反応しています。
中音域に独特な響きがあり、低音域はくすみ気味にポコポコしております。
店員が二度と近寄ってこなかったので、カウンターまで持ってゆき「結構良い音するぜ。たまには弦を替えてやれよ」とアドバイスして店を後にしました。
そして考えた訳です。
「鳴らない」のはギターではなく、そんな能書きを鵜呑みにするギター弾きやギター商売をする奴らの戯言なんぢゃねえの?
ってね。
中々、核心へ近づいていきません。
本題は、ある一つの疑問点になるはずなのですが、今現在、上手くそこへ辿り着けるかどうかも定かではありません。
失敬。
兎に角、ギターについてであります。
少し乱暴にとばしていきます。
「安かろう悪かろう」こう云った部分は大いにあると思います。
「高かろうよろしかろう」と云った部分も大いにあるでしょう。
しかし「弘法筆を選ばず」でもありまして、「豚に真珠」でもあります。
……いやいや、ギターです。
世の中には星の数程にギターがあると思いますが、その内の何割位が「鳴る楽器」なんだろうか? と思う次第であります。
ま、巡り合わせなんでしょうが、「こりゃぁ良い!」と感激する「鳴る」ギターには滅多に出会えません。
当然そこには自分の経済状況と云うトホホな理由も関係するのですが、それはそれとして、知人達が持っている高額ギターを無遠慮に「ちょっと弾かせて!」と借りてみても、あまりパッとしません。
ここで、はたと思う訳です。あの楽器屋の広告で見かける「バカ鳴り」なる楽器は本当に存在するのか? と。
……これまた本道から脱線してしまいそうな勢いになってきました。
低所得者はひがみっぽくていけません。失敬。
つまり、単純に言うと自分のギター歴は「鳴らない」ギターとの格闘の日々であったなぁ〜と云う訳です。
さてさて、鳴らないギターの内にも二通りの物が存在するのですが、これは個人的主観による「魅力」のあるものと、無いものに大別出来ます。
ハイ。すいません。
睡魔到来です。
ゴールは目前ですが、また次回へつづきます。
すっかり時間があいてしまいました。
月日が過ぎ行くのは光陰矢の如しであります。
さてさて、楽器には「鳴る」楽器と「鳴らない」楽器がある訳です。
こう書いた時点で若干の罪悪感を感じてしまいます。
なぜなら「鳴らない」楽器とは、まるで「使い物にならない」と刻印を押してしまうようだからです。
自分の中にある捻れた愛情が、ギターをたかが「鳴らない」位で全否定しまうのは止せと訴えています。
一事が万事ばかりではありません。
何事ものっけから決めてかかるのは止めましょう!
たかが「鳴らない」だけですから。
ここで一つ重大なポイントがあります。
それは「良い音」に基準など設けられやしないと云う事です。
ある種のオーディオ的な良い音と云うのはあると思いますが、それだって千差万別です。JBLが良いと言う人もいれば、BOSEが良いと言う人もいます。TANNOYぢゃなきゃ嫌だと言う人もいるでしょう。
要は「その人の感性が良い音を決めてしまう」のです。
世の中なんでもかんでもVINTAGE旋風が吹き荒れております。
勿論、ギターの世界にもピューピュー吹き抜けています。
ま、舶来品は脇へ置いといて、国産だとヤマハのFG赤ラベルとか、HEADWAYとか、モーリスのW-70?とか……。
まぁ、圧倒的に街中で見かけるのは「鳴らない」ギター達ですけど。
しかし、使い物にならない訳ではない。
……ここでまた睡魔がやってまいりました。
精神状態が健康で、良識のある演奏家の方は決して真面目に読まないで下さい。頑張って小銭を集め「鳴る」楽器を選んで下さい。
つづきはまた次回へ。
私は自分のギターをとても愛しているのだが、楽器と云う物は一本、一本音色が違うので、つい他のギターにも手を延ばしてしまう。
元々、ギターと云う物は舶来品であるからして、やはり外国の物は音が良い物が多い。
しかし、音の良い物はそれなりに値も張るので、おいそれと手を出す事が出来ない。
若い時分は向こう見ずな図々しさで、五十万、六十万、または百何万もするギターを買いもしないくせに「試奏させて下さい」と楽器屋の店員に迫り、分かりもしないくせに「やっぱ本物は違うな……」と一流奏者の顔をして悦に入っていたのだから、若気の至りとは恐ろしい。
どうやら音の良いギターの事を「鳴る」と言うらしいと知ったのは大分後の事なのだが、知ったところで実際に「鳴る」状態が気付ける様になったのは随分年を重ねてからだ。
鳴る楽器は音が大きい。
奏者への反応も素晴らしく的確である。
そして、とても弾きやすい。
そう! 使う者にとって、鳴る楽器はストレスを感じさせる事が無い。
それ故に皆が高い金額を払って購入する訳なんだな。
しかし、人の思いとは不思議なもので、鳴る楽器自体が易々と手に入るモノでは無いと悟ると、今度は「鳴らない」楽器をなんとか「鳴る」楽器に出来ないものだろうかと試行錯誤し、偏った愛情を注いでしまうのだ。
さぁ、ここからが本題なのだが、生憎、睡魔にあがらう事が出来ないので、この先は次回へ。