一番右をBLUESとする。
そんで一番左をThe Beatlesとする。
その丁度真ん中はThe Rolling Stones。
更にBeatlesとStonesの中間はThe Kinks。
BluesとStonesの中間はBob Dylan。
そうすると、もう左はほぼ行き止まり。……の様な気がする。
ただ彼等は右をも内包していたってのが素敵。
あぁ、でも、ちょっとくだらねぇな、コレ。
窓の外の冷たい雨を眺めながら「REVOLVER」を繰り返し聴いていたら、ふと頭に浮かんだ。
拳を握り声を荒げて行進したり、
ホテルの一室では無言で虚ろのままだったり、
ばたばたと倒れこんだり、駆け出したり、
「さぁ、立ち上がろう!」などと言ってくれるな。
「青い眼よ、真実のこちら側を見てはいけない」などと助言めいた言葉の裏側を覗き見したり、
それらが空腹の理由であったり、
または、食えない奴等の狡猾さであったり、
HARDな、HARDな、HARDな、日々に生き甲斐を感じたり、
もう、Give Up!だったり、
やばいね。
それらは全て空砲でしかないのか?
こっそりと夢を見ていれば、実弾を恐れる事から逃れている足跡が三千里ほど続いて、その後ろを蟻がこぼれカスで生計をやりくりしちゃう訳よ。
それでも、無言電話みたいな卑しさを黙らせる為に、轟かせてやるんでしょ。
そんな、今日がどうとか、明日はどうとか、そんなレベルぢゃないよ!
毎日、毎日、毎日、轟いてます。
さぁ、聞いて下さい。
ザトウクジラは素晴らしくでかい。
雄大。
あの巨体が海面を割って伸び上がる姿。
一度この目で見てみたい。
彼等は1〜2キロ離れた仲間と声で通信する。
「こっちへ来いよ」とかそんな感ぢだろうが、勝手にアテレコして想像し楽しむ。
「かあちゃん、プランクトンは幾ら食べても腹一杯にならないよ」
「もうちょっと我慢して泳いだら暖流にぶつかるから、そしたら真鰯共をたらふくお食べ」
こんな会話が今にも北氷洋辺りで交わされているやも知れない。
いや、既に北氷洋の太陽は沈んでしまったかな?
さすればザトウクジラ達は南下しているだろう。
スフィンクスはなぞなぞを出すって昔聞いた事がある。
何故か人類は、永遠の命への答えを希求する。
俺はお前の正体が知りたい。
ナスカの地上絵もモアイ像も、うすら黙って何かを待っているみたいだ。
それは、ある意味では永遠の命を得ている。
ま、それしか手段はないでしょうなぁ。
イッカクよ、あんたの角はなぜにあるのさ?
いやはや、何がなんだと云う事も無いのだけれど、風の又三郎と木枯らし紋次郎では、どっちがストレンジャー度が高いかな?
こんな事が無遠慮に頭を掠めるのは、秋が充満してきたと云う訳か……。
薄汚れた猫が目の前を横切るしなに、俺の方を二度見やった。
俺は二時間程前からイライラしながら労働に従事していたが、灰を頭から被った様な彼の体がしなやかに塀の上を渡って去ってゆく姿を見たら、不意に「やめたっ!」と口に出して言い、両手に持ってた物をその場に投げ出して煙草に火を点けた。
俺は頭の中で思いつくだけの神様の様なものを罵りながら、自分の影に唾を吐いた。
ちょっとでも風は吹かず、拭うのも馬鹿馬鹿しいほど汗を流している体は不快度200%で、今すぐ燃えるゴミに出してしまいたい。
はたと視線を感じたので焦点の定まらない目を泳がせてみると、通りを挟んで駐車している車の下にさっきの薄汚れた猫がいた。
体を延ばして涼みながら首だけを起こしてこちらを見ている。
そのまま十分近く無言のまま見つめ合う俺と猫。
午後三時の太陽は大分傾いてはいるが、まだまだオレンジ色で強い日差しを無理矢理浴びせてやがる。
薄汚れた彼は目を少し細目て鼻先が捕らえた何かを探る様に顎を上げて首を二、三度回した後にまた視線を俺に向けた。
「わぁぁぁーーーっかったよ! 俺は人間に生まれちまったからなっ! 働くしかねぇーんだ!」
彼は俺が仕事を再開させる姿を認めると、またしなやかな後ろ姿を見せながら何処かの藪の影に消えていった。
くそっ! 気持ち良さげに尻尾なんか立てやがって。
その村は俺がこないだ訪ねた一関の、ちょっと北にあるらしい。
その話は昭和38年と云うから、俺が生まれる少し前の事だ。
沢内村と云うところで当時村長さんだった深沢さんが、日本全国で初めて「満一歳にみたない乳児の医療費はコレを要しない」としたのだっていう。
その年、日本全国で初めて沢内村が乳児死亡率0に名乗りをあげたんだという。
憲法違反だ、なんだ、と言われながら、深沢村長さんが「乳児の医療費をとらない」と県や国を説き伏せたとの事。
ははぁ、そうなのか。しかし、昭和38年なんてそんな昔ぢゃないよなぁ。
それまでは赤ちゃんが病院に行けずに亡くなると云う事が、多々あったのだろうか?
深沢さんいわく、
「命あっての物種であって、物種あっての命ではいかん」(大意)
奮闘振りが伺われます。
沢内村が達成した乳児の死亡率0が、全国に波及して現在に至ると云う事は、俺もその恩恵を多かれ少なかれ受けているのだな。
岩手県か……。
宮沢賢治「無声慟哭」を想ってみる。
言葉はでない。
ほんに世の中にはまだまだ知らない事が沢山あるものです。
先日「葡萄を皮ごと食べられたらなぁ……」と、あての無い想いを巡らせていたのだが、なんと、皮ごと食べられる葡萄は既に存在しているぢゃないか!
岡山県の桃太郎ぶどうは、皮ごと食べられる葡萄だって言うぢゃないの。
「サラダ感覚で皮ごと食べられる葡萄」とのこと。
早速、意気揚揚食してみる。
なるほど。野菜の様である。
シャキシャキとしているんだね。
後味に葡萄の皮特有の渋味がない!
いや、ややある。しかし、気にする程ではない。うむ。さっぱりとした爽やかな後味である。
このシャキシャキとした食感がプラムの様である。
やっぱり、「皮ごと食べたい」と考えた人があちこちにいるのだな。
そして、人間とは我儘なものであるのだな。
いや、人間と云うよりも俺か……。
折角、念願が叶ったと云うのに、
「コレはコレだな……」
と、思うのだった。
いえ、いえ、美味しいのです。
そりゃぁ、もう、パクパクと次から次へと食べましたからね。
ただね、「コレはコレだな……」と思う訳です。
ありがとう。そして、ごめんなさい。
今日だって奇跡は起き上がらない。もうとっくに終着駅までの乗車券は手にしたのに。
2007年に生きていれば、ベートーベンもアレクセイ・フョードロヴィチも本の中の住人だってこと!
あと二百年もすればジョン・レノンだって挿し絵の中でポーズを決めているだけかもね?
今現在でもほぼ「Imagine」だけみたいなんて皮肉だなぁ。
ポールは「Yesterday」だけみたいに言うし、つまりは、イメージの昨日は記号化されてしまって額に入れて飾る物にされてしまうのかもね。
人間の体はどこまでも不思議なので総てを解明など到底出来ない、と云うあたりは宇宙の一部であるとの証拠だと思うのだけど、無限であると云うのは底知れぬ恐怖感、あるいは不安を無遠慮に呼び出し、なんでもかんでも手の内で操れる様にしてきた先達よ、ご苦労さん!
その功績は、あらゆる「まさか!?」を現実にしてきた訳なんだけど、それはまた、別の恐怖感を呼び起こしてしまった皮肉だね。
さてと、それでは幸福観が何かを生み出す原動力に為り得るのかというと、乱暴に言えば新しいものを拒む事で継続してゆくのが平穏無事に日々を送るすべなのは、杉林の中や九十九里の浜辺で当たり前に転がっているのだよ。
そこへゴミを捨てにゆくのが文明人だったり、もしくは能無しかもね?
エコロジーなんて言葉自体、ペテンにかけるつもりなのかっ! って白々しいのは百も承知だけど、隣人を愛せよなんて二千年以上も前から似たような事を問い続けて、下手すれば、もうそれこそ誰も愛せない「こゝろ」で退屈しのぎに羽目を外して真面目さを軽蔑したけりゃすれば良い。
だけど、いずれまた、「さよなら」って言う日がくるよ。
言わずにズラかる者もいるのだけど、彼は道に迷ってしまったのかな?
兎に角、なぜにそんな嘘八百が罷り通ると思えるのか、それは無駄に自己防衛正当性により大事なものを削り取ってしまうのに。
ま、どっちもどっちと云った風ではあるけれども。
Good-night.
止めたい奴は止めちまえ!
疲れただけなら、一休み、一休み。
それどころぢゃない人は、どうか体調に気をつけて。
俺は淡く桃色と紺色で織り込まれた夕暮れに、ホカホカ中華マンをパクついて、またぞろ彼や、あいつや、そいつを思い出す。
川の澱みのアブクみたいに、胸の内に生きてる間は消える事の無い借りがある。
俺はソイツを携えて口笛吹いて歩いてゆく。
気が遠くなりそうな程、素晴らしく打ちのめされ、顔から火が出る程、情けなく突き落とされる。
足を止めると良く見えるものもあるが、見失ってしまうものもある。
ライトニン・ホプキンスが、
マディ・ウォーターズが、
ハウリン・ウルフが俺を歩かせる。
他人の事は他人に任せて、ぷらぷら歩いてゆく。
歩いて、歩いて、家に帰ると栗がザルに二つあった。
親父が林道から拾ってきたんだそうな。
「なかなか美味いぞ。だけど山のもんだから、気を付けて食べないと中の虫を食べる羽目になるからな」
俺は結構歩いたつもりでいたが、まだまだ道は長そうだ。
ほくほくの栗でむせながら、明日はどっちへ歩こうかと考えている。
研ぎ澄まされている。
一切の無駄を知らないと云った風である。
トリックは必要としない。
その者達を見知っている訳では無いのだが、「マ・ト・モ」ぢゃないのは分かる。
でも、それがとってもマトモなんだな。
裸になる事は、ある部分では快感なのかも知れない。
しかし、毎日が必要だとは限らない。
いまや、二時間あれば水銀みたいにシャープな細胞分裂が手に入るけども、それも孤島の様な空間の中だけでの話であって、一歩足を踏み出せば塵だらけのパレードが老若男女を先導して、どこまでも古臭い最新に散財させる。
その判断基準は16:9や6:4の中で、モノになるのか、ならないのか? でしかない様に俺には見えるぜ。
無知でいる事が耐えられないのなら学べば良い。
学ぶ自由はそこいら中にあるものな。
無知である自由もまたよし。
俺達は自分自身に不自由を感じたりしない。
そう! 今や細分化され、肥大してゆく使い捨ての共通項は、十\年を百年に感じさせる壮年性老化現象イリュージョンだ!
研ぎ澄ましている時間を誰も持てずに、次から次へと目玉を白黒するだけで手一杯みたいだよ。
ところで、言葉にならないもの、記号化出来ないものは、何千年、何億年もの昔から此処にあった。
それを切り取って現世へ残した彼らは、やはり天才だったんだろう。
俺は、その足跡と出会えた事だけで、生まれてきて良かった、生きていて良かったと思えるよ。
なんせ、彼らは研ぎ澄まされている。
台風野郎の置土産でドロドロにばてた。
夏の最後っ屁にとどめを刺されるかと思ったぜ!
まったく、自然現象と云う奴は手加減というものを知らない。
そして俺の職場も加減を知らぬのか、明日で何連勤になるんだよ俺!
火曜にやっと休日がやってくる。
VIVA!! 休日!
たんぼは徐々に色付いているのだ!
どこまでも広がるたんぼを遠目に見回せば、こんがりと黄金色の稲穂の穂先が、姿の無い風達の過ぎ行く痕跡で素晴らしく波打っている。
あぁ、夏が終わる。秋が来る。
夜は夜で聞こえてくるのさ、蛙達の少し歪んだテナーやアルトではなく、虫達の涼しげなソプラノが。
芋、栗、柿。芋、栗、柿。芋、栗、柿。芋、栗、栗、柿。
今年の俺は台風野郎に完敗だったぜ!
いや、勿論今までも勝てた例しなど無いのだが、ギリギリ五分は保てていたはずだ……。
来年は真っ向勝負で伸してやるぜ。
それまで首を洗って待っていやがれ!
あぁ、夏が終わる。
芋、栗、柿。
吐き気をおぼえる。恐ろしい程の。
台風が近づいているから気圧の所為だろうか?
寝呆けながらカーテンを開けると、視線の先がビカビカの金星とぶつかった。
明け切らない夜に余りにもはっきりと浮かんでいたので、木瓜ている俺は「UFOだ!?」と嘘ぶいた。
もの凄い速さで「何か」がかっ飛んで行くのが有りありと分かる。
台風の兄弟達がそこいら中から根こそぎ連れて行こうとしてるのだ。
南極から、北極から、太平洋から、大西洋から、烏合の衆が手に手を取って鼓膜のずっと奥の方へ囁きかけている。
それは、とっても威圧的なんだな。
もう俺は殆ど犯罪者の様な気持ちで、あの兄弟達に噛み付くタイミングを「今か今か」と伺っていたら、決戦場の空は白んできやがった。
まだまだ吐き気は治まらない。
寝たフリをしながら、パタンと扉を閉めた。
手触りとか、肌触りとか、臭い。
触れた瞬間にパッと目が覚めて、脳みその奥の方で忘れ去られそうになっていたモノが息を吹き返す。
それはもう憧れではなく、何時の間にか「俺もそうだよ!」ってあたかもこの目で見てきた様な気にさえなってしまう。
まったくアメリカなぞ行った事も無いのに。
この感じが一体いつ頃俺に忍び込んで来たのだろうかと考えてみる。
スタインベックか?
いや、マーク・トゥエインだな。
カルピス劇場の「トム・ソーヤーの冒険」が……まてよ、
インダカが貸してくれた「白い牙」の方が早いか?
でもアレは南部の話ぢゃないな。
となると、やっぱり「ハックルベリィ・フィンの冒険」だろうな。
あそこが意識し始めた俺の関門なんだな。
だいたい中学生位の時までに入ってきたものが後々まで影響するって云うけれど、俺、全然違うな。
オラ、余程「見る目のない」ガキだったんだなぁ。
ハックも、ビリー・バックも、サンチャゴも二十歳過ぎてたよ。
すると、五年はズレがある訳か。
あいや〜……俺、五年もの時間を何処へぶん投げちゃったんだべ?
勿体ないよなぁ……。
フォークナーの「熊」を読んだ。
俺は大好きなオカズが並んだ食事の時みたいに、脇目を振らずに一気に平らげてしまった。
目まぐるしく色々な情景が頭の中に浮かび、俺は少年だったり、サム・ファーザーズだったり、大鹿だったりして森の中を駆け回る。
フォークナーに連れられて終にはオールド・ベンにさえ出会ってしまう。
そして、脳みその奥の方で埃を被ったままの俺と握手した。
今回の「熊」は、米南部話俺ランキング二位に決まり。
これを機に「八月の光」へ飛び込んでみるか!
冷蔵庫の中に冷え冷えの巨峰が一房。
左手を伸ばし捻る様に二、三粒もいで口に運ぶと、果汁が口一杯に広がって、ほんの一瞬間だけ皮こど食べてしまいたくなるが、巨峰の皮はあまり美味しくない。
否、葡萄の類は皮ごと食べると不味い。
そんな分かり切った事を、何故か毎回巨峰を口に運ぶ度に思う。
葡萄の皮。惜しいなぁ……あと一歩のところで皮ごと食べれそうなのに、チャレンジする度に吐き出してしまう。
どうしても皮をかわして食べる為、葡萄の果汁を88%位しか味わっていない様な不満足感が残り、次から次へと葡萄の粒を口に運び、何時の間にか一房平らげてしまうのだな。
しかし、やはり、十二分に味わった気にはなれない。
そんな巨峰に焦がれてしまう俺。
これがマスカットだともっと厄介だ。
マスカットは、あの香が相まって口に入れた瞬間に皮ごと食べずにはいられない衝動に駆られる。
たが、やはりマスカットも皮ごと食べると不味い。
畜生! 忌々しいぜ、葡萄の奴ら!