
午後四時半、一階売場の中央。
この店特有の社内アナウンスに呼び出され、各売場から叩きをする者達が集まって来る。
その日のモノはその日の内にが社長の信条なので、あらゆるモノがお買い得ゾーンに並べられ、叩きをする者達がぐるりと周りを囲いながら大声でまくしたてる。
閉店までの一時間は夕ご飯の買い物客で客足が増し、尚且つこの叩きの為に店内が騒然となってゆく。
その嵐の様な雰囲気は、売り手と買い手を大胆にしてしまい、閉店後の店内は台風一過の様だ。
今日もボンズは叩きの輪の中にいた。
ボンズは叩きが好きだった。あの熱気の中で閉店まで駆け抜ける感じに、爽快さを感じていたのだ。
「あの婆ちゃん、今日も来るかなぁ……」
今更ながら昨日売ってしまったホッケの事が悔やまれてならなかった。
「売れた事にして捨てちまえばよかった……」
ボンズは目の端で時計を確認しながら、普段より熱の入らない声を御経の様に繰り返し、シャッターが下りてしまうのを今か今かと待っていた。
「ちょっとアンタ……」
振り向くと、ホッケの婆ちゃんがソコに立っていた。
「昨日のホッケ、パサパサだし、味も素っ気もなかったわよ」
「い、らぁ、う……ぅん」
ボンズは即座に「ごめんなさい」と思いながらも、謝るべきなのか、誤魔化すべきなのか判然とせず、へどもどしながら体のどこか分からない場所にチクチクと痛みを感じて立っていた。
「だから一口食べたあと、猫にあげちゃったわよ」
ビビビッと閃きが走った。
「今ならまだ間に合うかも知れない」
ボンズは婆ちゃんが手にしていた鮮魚の金目鯛パックを、塩干用の包装紙でグルグル巻きにして、上からマジックで百円と書いてから婆ちゃんのカゴへ放りこんだ。
「これで堪忍して!」
「えっ……。いいの?」
八百円の金目鯛だった。いくら叩きでも六百円が底値だろう。しかし明日は、もっと叩くしかないのだ。明日叩こうが今日叩こうが、何れにせよ叩くのだ。鮮魚なぞ早く食べた方が美味しいに決まってる。パチモノのパチモノを処分する様な売り方なんぞゴメンだ
「らっしゃい!らっしゃい!らっしゃい!らっしゃい!らっしゃい!」
婆ちゃんがレジを抜けるまで、ボンズは唄うように声をはりあげた。

午前五時の築地卸売市場。
独特の冷気と独特の熱気がたちこめる中を、ボンズは歩いていた。
先々週にボンズより一足先に築地デビューしたミノやんからその雑踏の様子は大体聞いていたのだが、初めて触れるやり取りや会話に圧倒され、クラクラしながらも村松さんとはぐれまいとして、へし合う通路を重い頭のまま抜けて行った。
「らっしゃい!らっしゃい!」
方々で呼び声がかかる。練りから塩干、鮮魚に生鮮野菜。トラック三台分の仕入れがなされ、今度は店頭に並べて自分が呼び子を務める事を考えると、ボンズは少しややこしいなとおもった。
途中、村松さんが菊屋の婆さんから値踏みしている間中、ボンズは昨日の叩きで売ったホッケの事を思い出していた。
羽子板の三倍位はあるそのホッケは、村松さんが先々週に仕入れたモノだったが、余りの大きさに誰もが気味悪がり、仕入れた五枚の内の二枚がずうっと店頭に並んでいた。
そしてついにカビが生えてきたのだった。それをボンズは言われるがまま、タワシでゴシゴシ洗い流してから屋上で天日干しして、夕方の叩きで顔見知りの婆ちゃんに売ってしまった。
「一生懸命洗い流したからな……大丈夫だろ……。」
塩干売場へ入ってからのボンズは、中途半端に自分を納得させる日々を過ごしていた。
手板に小田原真鰺と書かれた特売鰺は、実は小田原産では無い。赤魚鯛の箱にはベーリング海とマジックで乱暴に書かれていた。
ボンズは自分が商売に向いてないのを、二ヵ月でみてとった。
「おい、味見してみろ」
ふいに、ぬうっと目の前に村松さんが差し出したのは、ヨードチンキ色に染まった味付けタラコだった。納めてある発砲には中国産と書いてある。
「こりゃぁ、早くココからずらからねぇと、俺も正体不明の味付けタラコになっちまうかもな……。」
一肚を一気に頬張りながら、ボンズは胸の中で独りごちた。
つづく。
ジュリアン・ソレルの様に、尊厳を保つ為の戦いを挑み続けるM・B・Bよ。 俺は君のその有様を見る度に、いわれの無い悲しみに捕われて、苦しくなってしまうよ……。
賢い君の事だから、全て分かっているのだろう?
ブルーにこんがらがっているだけなら、すぐにでも手を引いて陽の光の下へ連れ出してしまいたいけれど……。
こんな時に限って、足元ばかり気になるなんて、いささか俺も小心者の卑劣漢なんだな。
「無かった事にしろ!」とは言わないさ。少しづつ変化が欲しいだけ。何かを信じてみないかい?
「幸福」って何だっけ?
それよりも「不幸せ」ってなんだろう?
8ビートを知ってるか?
トレブルを効かせながらも低く重たく引き摺るんだよ。
黒から白へ「優しさ」の橋を架けた
何もかも要らないと感じたその夜に
バタースカッチ・ブロンドのテレキャスター
生っ白い手足に鞭を打て!
七粒の涙と十二の象の群れ 旅路の先に待ち人来たらず
気象予報士は恋してる 理由はまだ無い 「表」であり「陽」でありたいと願っているから
歯科医は誤魔化してる 生理的欲求は言い訳に包めば良い口実になるから
声色を装い 一人二役の悲喜劇を演ずるヒロインくずれ ヒステリーは最大の自己防衛に成り得るのか?
「ミック・ジャガーに感謝しろ!」 酔い酔いの中村君は楽屋で俺にそう言った
チェット・アトキンス エディ・コクラン ジョージ・ハリスン 大西洋を渡るグレッチ・ロックンロール・ジェントルマン
フィジカル ラディカル ビートと思想
完璧を求めて岸壁に立つと 海燕達が冷かしながら雲を弾き 波を弾き 風を抱いた
8ビートを知ってるか?
それは俺の荒ぶる鼓動だ!

夜中に真っ黒い彼が、廊下で一点を見据えながら佇んでいる。
何が見えているのか? 話かけると首をこちらに捻りそれなりに反応はするのだが、動こうとはしない。
東の都で暮らしている時も、よく明け方に道路の真ん中で佇む猫の姿を目にしたが、ソレは人間には想像もつかない世界を瞑想する賢者の様に見えた。
知恵を持つ事は、ある意味とても不自由だ。
『知恵の実』を食べた事に依って、不自由になる自由を手に入れたと云う話だが、腹が減ってたら俺だって食べちゃうよ。
三つも四つも食べちゃうよ。
もう食べられないってトコロまで食べたら直ぐ様、横になって明日は何個食べるか考えながら、猫の様に丸くなってオネンネだ!
もう逃げ回るのは懲り懲りなのさ。
未だ一進一退の攻防は続くのだが……。
小さな猫達は、鳥に生まれ変わりたいとでも云うのか、窓の向こうをひたすらに見上げている。
おいおい、俺も君達も残念ながら肩甲骨以外のものを背負っちゃいないんだよ。
愛情が足りないのかなぁ。何れにせよ『さかさま』の美意識には飽き飽きなのよ。
猫達は素敵だ。
しなやかで、愛敬もあり、精悍さもある。
翼が無くても翔べるヤツがいる事は分かっているぜ、俺だって。
捕えようの無い現世に、自分自身を浮き彫りにしようと誰もが悪戦苦闘した挙げく、やっと解放された時の気分とはどんなものなのか?
何故に最後は己自身との対話になってゆくのだろう?
『カモメのジョナサン』は所詮、人間の創作なのさ。自然界には自己探求など、ありはしない。
人間ほど、現世に存在証明を残したがる生物もいないだろう。
なにが高尚なのだ!
猫達は素敵だ!
それは『生きてる』だけの美しさなのさ。
しかし、悲しいかな、俺だって悪あがきをして血流を昂ぶらせたい。

アレは俺が美香ちゃんにフラれる前だったから、もう6年位前の話だ。
なぜか突然に、昔の仲間へ片っ端から電話をかけて近況を聞いてみたくなっちまったのさ。
「今、あの子はニューヨークにいるんですよ。どうしてもドラムを叩きたいらしくって……」
なぬ! タツよ……お前もまだ足を洗っちゃいなかったのか。しかも本気でJAZZをやる為に N.Yだとは……!
タツのオフクロさんは半ば「しょうがない……」と云った様子を語尾に込めながら、それでも応援しているらしく、快く N.Yの連絡先を教えてくれた。
「俺、会いに行くぜ」
誰もが「迷惑がられるから止めた方が良い」なんて言いやがる。
てやんでぇ〜ぃ! 海を渡って尋ねて来た知り合いを、無下にする奴なんぞ居ないだろよ。
しかし嬉しいねぇ〜。かつてのメンバーが今も愛情を持って音楽に取り組んでいるなんて聞くと、袂を別っていた時間が忽ち縮まる気がするね。
……えっ? 憶えている訳が無いって……。そんな事あるもんけ、あんだけ一緒に音出したんだぜ! 一目で思い出すに決まってる。
しかし皮肉なもんだねぇ。タツといい、ゴトーといい俺と一緒にバンドをやったドラマーが、俺から離れた後ジャズをやりだすんだからねぇ。
「所詮ロックだろ!」ってジャズのラッパ吹きに言われたから転向するなんざ、まったくどうしたもんなんだろなぁ。
俺に言わせりゃ「所詮ジャズだろ!」ってトコロなんだがなぁ。
そんな事はともかく、タツ坊も今ぢゃ30代なんだよなぁ。
結局、右往左往してる内に会いに行かずじまいだが……。
なぁ、タツよ。俺は頑張って働いてもう一度テレキャスぶら下げるつもりだからよ、Love You Live でLive With Meってな感じでよ、ドコかで一緒に音出せたらいいな。
それまで達者でいろよ!

有終の美なぞを求めて、区切りをつけるだの、完了を見届けるなどとしようとするな。
例えば君が「ライ麦畑でつかまえて」を読むとする。
どんどんと読み進み、遂に『誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないのが、物足りなくなって来るんだから。』まで行き着いたとする。
そしてソコで本を閉じてしまえば、読み終えたと云う体験が過去として残るだけだ。
もし共感を覚えたなら、本自体に「好きだ」と云う念を刻むだろう。
しかし、同類であり同格であろうとするならば、直ぐ様ペンと紙を用意して、話の続きを綴るんだ!
滞留する意思は淀み、自ずと醜く悪臭を放つ。
適当に共感すれば何れにせよ濃度は薄くなってゆく。反発する熱を感情でコントロールするのは無理だ。
全ての主観を横取りせよ!
代弁者なぞ必要とするな!
初めの一歩は無力さを自覚する事だ。
桃色稲妻 春の嵐
前ぶれの涼しさ
山間を渡る予感
弧を描き低空飛行
汗も疲れも流してしまおう
ボロボロのロマンチストは伴奏も自前で大気を磨く
大きな雨粒は乱暴に塗り潰していった
ドコまで行っても空白なままの彼が、小さな雫で柔らかく染めたら完成だ
誰も気付かない場所で大切に保管するぞ
そう云った瞬間の幾重にも積み重ねた永遠を手に入れるまで。
ソレは深い、深い、深い思念の底無し沼だ。
到底、俺などでは立ち入る訳にはいかないのだ。
胸の内で、たどたどしくなぞる事が精一杯なのだが、何故に足を留めたのかは明確になった。
ソレは尊敬では無い。ソレは憧れでも無い。ソレは純度200%の『無』なのさ!
全ての終わりは始まりへと繋がる。
至極、当然であるこの事柄に彼は意識的である。
敢えて裏側を覗こうとは思わない。
リアリストである事。ロマンチストである事。これらを天秤に掛けてしまう俺は、また1から出直す必要があったと云う事だ。
彼の中に俺を探し、俺の中に彼を探しているのだ。
隠遁なんぞ、たんぼの蛙にくれてやれ。
泥水にドップリと浸かって、力任せに鳴いてみるのだ。
余りにも曖昧たが、強固な意志が産声をあげる。
今夜は、そう簡単に眠れそうにない。