お地蔵さんがある二股を左へ。
まだ6時半だが、鬱蒼と生い茂る杉に囲まれ、アスファルトはヘッドライトが闇から切り取った部分しか見えない。
まるで箱の中に閉じ込められた様な夜闇だ。
アクセルを開けても開けても、箱の蓋をあける事が出来ない。体に軽くかかる風圧だけが、前に進んでいる感覚を伝える。
ズバッと誰かが刃物で切り裂いたかの様に、突然視界のコントラストが変わり、杉林の次に姿を現したのは資材工場だった。
白色灯が生気の無い建物を夜の中に浮かび上がらせ、何かのモーター音が作業中なのを知らせるが、生命の気配が微塵も感じられない。
「一体、何を作るつもりだ?」
疑心暗鬼の渦に飲み込まれそうになる。
二度、三度ハンドルをきり疲労感と一緒に振り切ろうとするが、体感速度が思考する六感のスピードに適う筈も無く、頭の先から順繰りに捕われてしまう。
こうなってしまうと有機的な音も、すぐにソレとは気付かず、何かの呻きが如く背中や足に纏わりついて、髪の毛の生え際に冷たい感触が湧き出始める。
解に恐ろしきは人の心也。
すると、不意に脳細胞の片隅で猫達が戯れだした。
「……アホ臭っ!」
腹も減ったし、風呂も入りたいし、此処は俺が育った土地ぢゃないか!
簡単に玄関をくぐると、身の内に鬼など居ない彼らが、俺の鬼共を一掃してじゃれてきた。
よし! 野郎共、そして娘さん。
たんまりブラシをかけてやるから、近こう寄り給え。
『絶対』と云う価値観について、ヒロ坊は有ると言うし俺は無いと言った。
そしてヒロ坊は二日間、俺と口をきかなかった。
バリバリの進学校を横に出た後、鴨川辺りの私立で羽を延ばし、三井ビルの地下にあったカジノで小銭を集めながら、ナオンとネンゴロに……。
すっかり音信不通。
俺が夜に指笛を鳴らせば、オマエは自室を抜け出して来て、一緒に背中を地面に預けたな。
「自衛隊に入隊して幹部になる」
あの宣言を皆が真に受けて、チビで奇妙な思想家なんだとレッテル貼られたのが運のつき。
剥がすのに3年も係ったのは、田舎町だったからって理由だけぢゃないだろう?
オマエの為に丸子は台風の中、御茶ノ水まで買い出しに出たのによ。まんまとバックレやがるんだからな。
俺様は『絶対』に近しいモノを掴んだぜぃ。それでも相変わらず『絶対』は無いと信じちゃいるけどな。
ヒロ坊はどうなんだ? 見つけられたのか? それとも何処かで腐っているのか?
オマエの部屋の窓には、もう灯りがともる事が無くなった。
全く素性が分からない洒落者達の目を気にしながら、一回だけ試しに指笛を鳴らしたら、礼儀知らずの犬に吠えられたぜ。
今は誰もが無関係だ。
今は誰もが無抵抗だ。
今は誰もが無関心だ。
喧嘩の仕方も分からない奴が、飛び跳ねたり、大声を上げたりと、寝る間も惜しんで右から左へバトンを廻す。
オマエが教えてくれた電話番号へかけてみたら、全然知らない女が出たよ。
結局、オマエは一度も本音を漏らさなかったと云う訳か。
一人前に悔し涙なんか見せやがったくせによぉ。
ヒロ坊よ! 『絶対』は絶対に無いんだよ!
妙にうわの空で、眠いような眠くないような中途半端な一日だ。
昨日の午前中に姿を消した婆ちゃんは、夜の八時に吉沼で見つかったらしい。
無事で良かった。
子供が迷子になっていれば泣きだすし、周りも気にかけてくれるだろうが、婆ちゃんが犬を連れて歩いていたら、散歩にしか見えないものなぁ_。
ハナちゃんが以前に話ていた「手をつなぐ、手をつなげる」幸せって事が甦る。
あの雷と大雨の中を九時間もさ迷い、吉沼まで歩いた婆ちゃん。
誠ちゃんよぉ_今ならまだ手をつなぐ事が出来るんだからよ、手をつないで筑波山に登ってこいよ!
おそらく、かつては誠ちゃんが手をひかれて方々を歩いたんだろ。
アンはダメだよ! アンぢゃダメだって!
痩せても枯れても、ここ一番は虚勢でも良いから大判振舞いでガッツをみせようぜ!
うまい……。うますぎる! 塚本さんから頂いたと云う筍。
コレは本物の筍だ!
水煮パックで売られているモノとは、食感も味もまるで別物だ。
そして、こんな事に一喜一憂している俺も別物なのか?
いや、違うんだ。そうではないんだ。
勿論行くべきなんだ! 何がなんでも、全部投げうってでも、飛んで行くべきさ!
……なぜ? 躊躇いか? それとも戸惑いか?
否、何も無いって事が問題なのだ!
そして、何も無い事を望んでいる俺が居る事実が問題なのだ!
だから言い訳がましいけれど、地面に「根」を張る間、今暫くは堪忍な。
今は、しこたま筍を喰って、喰って、喰って、鼻から出る程喰い抜いてやる!
さすれば、根が生え、線毛が生え、青竹が生え……そして、月に吠えるんだ!
それが一体どう云う話なのか? その作者は一体誰なのか? まったく知らないまま、その表紙だけにひかれて手に取ったという訳だ。
それは何かを訴えている様な、何かに苦しんでいる様な顔、顔、顔、顔。
真ん中には女装した自画像が置かれている。
この表紙をデザインした人も中々のもんだ。
ガルシア・マルケスの小説とジェームス・アンソールに何か関係があったのか、無かったのか分からないが、新潮文庫のあの一冊は表紙と中身の小説が見事に噛み合って、上質のR&Rアルバムのようだった。
所謂、俺はジャケ買いをして当ったと云う訳さ。
去年、偶然にもジェームス・アンソール展が目黒で有り、実物の絵を観る事が出来たが、やはりあの人も同じだった。
ドストエフスキーも、アンソールも、ロバート・ジョンソンも、ジョン・レノンも、イカシたイカレたロックンローラーなのさ!
「この道をとことん進むと何処へ着くのか?」
それ位の理由で、見た目が凶悪だった頃のスズキと何度も夜の東京を徘徊した。
大概は東の方へ向かったから、東京湾に出ちゃうんだけどな。
夜の夜中に山の方へ走る程、チャレンジ精神を二人とも持っちゃいないのよ。
VFRとゼファーと、結構面白可笑しく乗り回したよなぁ。
暴走族に追われたり、ミニパトの婦警をニヤニヤしながら追い掛けたりな。
まだレインボーブリッジも無かったし、大島行きのフェリー発着所の辺りも余り人気がなくて怪しげだったっけ。
昼間に虎ノ門だの、銀座だのと足を運んだ事も無い二人だが、夜中には何度も通ったぜな。
目的無し。お金無し。土地勘無し。自由時間 山盛り。
夜中の東京湾に火柱を上げる煙突を見た時は、少しゾッとしたな。
マルハの倉庫を対岸に見ながら、潮の香など殆どしないドスグロい海面に小便して帰るだけだったからなぁ。
あのなぁ、スズキよ。またよぉ_お互い余力が出来たらよぉ……単車乗ろうぜ!
車は楽だけんどもよ、いまいち面白みに欠けるだろ。
そんでもって、東京湾に小便しに行こう。
伝家の宝刀を携えて 先達の歩んだビッグロードを目指せ
死んだ小エビや麦芽ミルク 地獄の猟犬に蓄音機 そんなモノには用無しだ
花鳥風月 とんだ茶釜の遁走曲 背負った星霜から生まれる狂想曲
明る過ぎては目も眩み 闇が深けりゃ目を凝らす
記号を超え 意味を超え 音色に乗って弾ける一刀両断の飛沫
海馬に浮かぶ残像の全てに投げキッス
赤は赤で良い 黒は黒で良い
手も足も動かさないでいろ! 町に水が出たら、出さしておくさ!
町にうごかさないでいろ! 手も足も出さしておくさ! 水が出たら、
手も足も出たら、町に出さしておくさ! 水がうごかさないでいろ!
何も無い事がなんでもなけりゃ 総てを由とするさ
石匠の町を抜けて辿り着いた辺境の里。
この徹底している雰囲気は見事だ。ぐぅの音も出ないぜ!
うねうねと登り、うねうねと下り、ここがドコだろうが楽しめそうな予感が珍しく湧きあがる。
線路はあるが架空線が無いなぁと思ったら、現役でSLが走っているって言うぢゃないか!
ここで暮らす人々も、大分のんびりしているぞなぁ。
苦みばしった苦瓜の俺に、不思議と笑顔が溢れだした。
ただし、皮肉屋の俺2号に「よそ者だから気楽に受け止める事が出来るんだろ」と頻りに耳打ちされて、すぐに閉口してしまうのだが……。
日本て、イカシてるぜ。
俺ってば、イカレてるぜ。
今日出会った若者、高橋君に「ペヤング」とあだ名をつけてやった。
遠慮するなよ。「ぺ」と「ヤング」の間に中グロ入れたら「ペ・ヤング」で韓流スター風にもなるんだぜ。
あちこちで刈り込まれた下生えが燃やされ、いく筋もの狼煙を上げている。
春の妖輝の煙たい空を、気の早い鯉のぼりが融融と泳いでいた。
俺はペヤングと並んでソイツを眺めながら「また会おうぜ!」と言って別れたんだ。
西大通り辺りの無機質に造成された景色を後方に追いやり、左へ大きくハンドルをきりながらアクセルを踏むと、カーステレオから偶然「廃墟の街」が流れだした。
昼間は交通量も結構なもんだし、おのずと色んな雑音が飛び交うから、ちょつとした地方都市の様な顔を見せるが、夜が深まるに連れその不自然さが正体を表し始めると、求める事も与える事も出来ない「廃墟の街」に姿を変えてしまうのさ。
オペラの幽霊とカサノバのくだりに差し掛かると、ヘッドライト無しでは到底走れないオレが育った町へと車は入ってゆく。
今は夜を夜とするこの辺りも、十年後には様変わりしてしまうらしい。開発計画の唾がついてる話をアチコチで聞く。
その割には、オレが卒業した小学校は一学年一クラスと、こじんまり続けてると言うんだから不思議だ。
まだ午前中だと云うのに、利用者が結構多い。
そりゃぁ日曜ですから皆さん休日でしょうし、何するのも自由だけれど、朝からお風呂ってどうなのよ?
斯く言う私も入浴しにきたのですが、今時は健康ランドも娯楽なのでしょうか。 子供からお年寄りまで呑気な顔して湯槽に浸かっておりますわいな。
勿論、私も呑気な顔して湯槽に浸かっているわけですが、昼間から露天風呂なんぞに入って空を見上げておりますと、しかしまったく今の自分はどうであろうか? などと考え始めてしまう次第で……ねぇ、考えても考えても湯煙の如くモヤモヤと立ち上っては消え、立ち上っては消えするもんだから、すっかり逆上せてバタンキューですわいな。
考えない事とすると、同じトコロをぐるぐる廻る犬っころの様になるし、考え過ぎると理屈ばかりで生きた心地がしないってんだから、ほとほと私も自分に愛想が尽く次第でね。
しかし一つ分かるのは、風呂に入りながら考えるのは止めた方が宜しいですな。 身も心も伸びきっちまって、ふやけた茄子になっちまいましたわ。
「R&Rという高度な遊びに誰もついてゆく事が出来ない。20世紀最高の発明はR&Rだ!」
以前住んでいたアパートにある日、差出人の分からない封筒が届いた。 封を切ると便箋が一枚とカセットテープが一本。 そして便箋には上記の文句がワープロ太字で打たれている。 更に太字の下には小さい字で「一生R&Rしつづけてください。」と書かれ、三宅というシャチハタ印が押されていた。
その頃、知り合いに三宅という者はおらず、差出人の見当はつかなかったのだが、明らかに差出人は俺を知っているに違いないのだ。 なんせ『高度な遊び』に日々明け暮れていた俺様ですからね。
当時、以外なトコロから俺のバンドを知っているなんて話を聞いた位だから、そんな事があってもおかしくはないけれど、この三宅氏一体どうやって俺のアジトを調べたのかは未だ疑問だ。 切手は貼っておらず、ポストに投函されていたのだから、わざわざアパートを訪ねたのだろう。 同封のテープの両面には、ザ・ベンチャーズがびっしりと録音されていたっけ。
……俺のバンド、ベンチャーズは演奏しないんだけどな。
R&Rはとても高度で、とても高価で、とてつもなく高出力だ! それ故、まかり間違えば糞も味噌も一緒にしてしまう危険を孕む。しかし、危うく無ければR&Rではないのだ!
ヘイ! ミスター三宅! (文面から勝手に男性だと思っています)俺はまだ、アンタの目に『高度な遊び』に惚ける危険な光を放っているだろうか?
20年ぶりの再会なのでしょうが、スイマセン……どちら様でしょうか?
吉川さん……? はぁ、コースケのお母さんですか。いや_ハルの事は何となく憶えてますが、コースケなぁ……スイマセンやっぱ思い出せないです。
そんな大したもんぢゃないんです。五分の一世紀の間で、すっかり変わってしまって……。
いや、そう見えるだけですよ……。
はぁ、今年の正月にそんな話が出たんですか。
みんな元気ですか?
えぇ、俺もボチボチ四苦ハ苦しながら、再発進ですね。
――他人の記憶の中で出会う過去の自分は、見つける事の出来ない遺失物の様だった。 なぜか、嬉しさと悲しさが半分づつやって来て「明日もチョックラ頑張るか!」って気になってる。
人生 泣き笑い
ほほぅ……。杉山清貴よりカルロス・トシキが好きですか。 別に俺はどっちも好みぢゃないんだけれど、どうしてカルロス・トシキの方が好きなのさ?
なぬっ! パッションがあるとな!
ぷぷっ……。
いやいや、ごめん、ごめん。バカにするつもりはないんだが、なぜか可笑しくて笑っちまったんだ。
そうかぁ_カルロスにはパッションがあるかぁ……。ぷ……ぷぷっ……ぷぷぷっぷぷぷぷぷぷっ……駄目だぁー。なはははははははは……カルロスにはパッションが……きみはセンパーセェーンだろ? だはははははははははは。いや、悪気は決して無い! けど……パッションって……だはははははははははは……カルロス……ぷぷっ……良いかもな!
いや_やっぱ好みって人それぞれだよなぁ。 この間、誠治さんに聞いたんだけど、誠治さんは中村雅俊のシングル「ふれあい」のB面が好きなんだってさ! もうね、タイトルがすげぇーのさ! 「青春貴族」だって! だはははははははははは……ヤバいよな……貴族だぜ……だはははははははははは……また歌詞が強烈なんだわ、歌って貰ったら……正確には覚えてないんだが「一番嫌いなものは勉強さぁぁぁぁー」とかいうの! どんな貴族だよ……だはははははははははは……青春か? それ……だはははははははははは……ただの高校生だよな!
今度、金のある時にカラオケ行って歌合戦しようぜ!
だはははははははははは。
マックスコーヒーを飲むと、母方の爺ちゃんを思い出す。
爺ちゃんは俺が11才の時に亡くなったから、思い出すと云っても僅かな欠片ばかりなのだが……。
あの時爺ちゃんは69才だったんだから、西暦にすると1911年生まれって事だ。 ……と云う事は、ロバート・ジョンソンと生年が一緒と云う事だ! あの余りにも伝説化されて、幽霊の様に実態が掴めないブルースの偉人が、俺の爺ちゃんと同い年だと考えると、存在した事実がグッと身近になるなぁ。
それはさておき、マックスコーヒー、爺ちゃんときて次にくるのが床屋だ。 爺ちゃんが運転するスーパーカブの後ろに乗せられ、床屋へと連れて行かれたのが、俺の記憶に一番に残る爺ちゃんの思い出だ。
それは美しい思い出でも何でも無く、なんせスーパーカブの後ろに乗せられるのが嫌で嫌で堪らなかった。 振り落とされそうな恐怖感と闘いながらの道中は、チビッ子の俺には拷問に感じられたのです。
「なんで今、床屋へ連れて行くのか?」
多分、当時はそんな憤りを感じながら激しく抵抗したと思うが、結局後ろに乗せられ「ぎゃーぁぁぁぁ」と喚きながら連れて行かれたっけ。
そして床屋に到着すると、爺ちゃんがマックスコーヒーを奢ってくれたのだ。
それが爺ちゃんとの思い出だ。交わした会話など一切憶えておらず、連れて行かれた床屋も憶えてないが、爺ちゃんとスーパーカブが脅威だったのは鮮烈に残っている。
今、マックスコーヒーを飲むと甘すぎて適わないが、あの時のマックスコーヒーは美味かったな。
俺も所謂、新参者であるから故、無難にお愛想で相槌をして箸をのばす。
お花見だと言うが、桜は見当たらない。 今一つ駄目だな……。 折角だから早々にズラかって、一人夜桜でも探訪するとしよう。
向かった先は小学校。
あぁ 良いなぁ。綺麗に咲いてら。
しかし、夜の小学校はなんとも久しぶりだよなぁ。 若干、こわいですが……。 桜を眺めながら、暫し小学生時代を回想。
あっちの校舎は、俺が在学中に建てられたんだっけ。 あの新校舎の三階、便所の配管伝って、外壁を下まで降りたら教頭にこっぴどく怒られたんだよなぁ。 ハルオが下で、やんややんやと喝采を送るから、大騒ぎになっちまって……。
この新校舎、初めてガラスを割ったのも俺だった。 足の裏の、つぶつぶした肉が飛び出しちゃって、保険の先生が卒倒しそうになっちまったよなぁ。 あん時も教頭に、こっぴどく怒られたっけ。
あぁ……イップと本気で殴り合いしたのは、この辺だ。鼓膜が破れると、あんなに痛いもんだとはな。 頭のずっと奥の方が、キンキン痛むのにはまいったぜ。 しかし、あの喧嘩は俺が全面的に悪かった。ゴメンよ、イップ。 あん時も教頭にこっぴどく怒られたんだよなぁ。
なんだか……教頭に怒られた記憶だらけだ。
そう云えば教頭の机の引き出しの中に、ババ毛虫を二十匹位放り込んだっけ。 あれは、俺の在学中の最高傑作だ!
あのババ毛虫を提供してくれたのは、この桜達だった。
ありがとよ。
また、その内に会いに来るぜ。